里山の紅葉山ノ内町で農業を営みながら地域活動を積極的にされているSさんは、知り合いや仲間の皆さんに近況として通信を書いて配布されています。
毎号、農業や人生などなど、様々な視点から自分の考えを載せられています。
最近届いた通信に次のような記事がありました。心のふとまる(のふとまる・・・この辺りの方言で”暖かくなる”という意味です)文章ですので紹介します。

田んぼの神
  うちの田んぼの近くの保育園に勤めている友達の保育士さんから「お宅の田んぼで子供たちを遊ばせてもいい?」と聞かれたので「入口の辺りがぬかっているけど奥の方なら乾いているからいいよ」と答えた。
  稲刈りも脱穀も終わって広々とした秋の田んぼに小さな子どもたちの飛びまわる姿を想像しただけでもうれしくなってくる。
 昔は、野球や凧揚げ、やり投げなんかをして田んぼで遊んだものだが、今どき田んぼで遊ぶ子供の姿を見たことがない。
 二日ぐらいして「ごめん!子供たちが、溝のふちの土をジャンプして落としたり、泥団子を投げたりして、田んぼを荒らして悪いから、もう行かせないようにする。乾いた所でなんか遊ばないんだから」と、困って謝ってきた。
 脱穀の後、上の田んぼの土手下の、水はけの悪い所をバックホーで溝を掘ったのだが、どうやら子供たちはその溝を好んで遊んでいるらしい。
 「園の遊び場には砂しかないから、粘土のような田んぼの泥がうれしくて」と言う。昔から子供は、水たまりや泥んこが大好きだ。 「ふちの泥なんて、どうせ春までに凍みて落ちるんだから、どんどん遊ばせてやってくれ。子供が遊んでくれるような田んぼでなけりや、いい米は取れねえよ」って言ったら「うれしい!ありがとう」と喜んでくれた。
 遊んだ後の、泥だらけの子供たちをどうしたのか聞き忘れたが、今どき田んぼで泥遊びをさせてくれる保育士さんがいること自体がうれしい。
 秋の田んぼはススキ、ヨメナ、ミゾソバ、チガヤ、シロバナサクラタデ、チョウジタデの紅葉など、なかなかの趣だと思うが、子供の目には入らない。小さいころには景色なんかに気づくこともなかったが、年取るごとに動きが鈍くなった分だけ、景色が見えてくる。
 代かき後に水を張って、鏡のようになった田んぼに映る高社山、カエルの声、まっすぐに植えられた早苗、風の居場所が見える青田、黄金色に実った稲、空いっぱいの赤とんぼ、稲の掛った稲架、全部片付いた後の広々とした田んぼに飛び回る子供たち。どれも、なんということのない田舎の風景なのだが、見る人の心を豊かにしていることは確かだ。
 そして、その風景を作っているのは百姓仕事だ!と気付いたとき、カネにならない百姓仕事の豊かさが見えてくるのである。

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