昭和24年9月7日(1949年)、山ノ内町の志賀高原地域を含む上信越高原国立公園は日本で15番目の国立公園(※)として誕生しました。戦時中には一時的にその事務が停止された国立公園ですが、戦後の平和政策の一環として、また、日本の美しい自然の風景を再認識し、保護・利用しようとする機運から、昭和12年以降途絶えていた国立公園の指定が再開されました。戦後3番目の指定となる上信越高原国立公園の誕生には、このような時代背景があったと考えられます。

上信越高原国立公園はよくその名称を“上信越国立公園”などと間違われる事が多いのですが、上(上州:群馬)信(信州:長野)越(越州:新潟)にまたがる山岳地帯と高原が一体として人々に憩いの場とレジャーの場を提供しているのがこの国立公園の特徴です。

上信越高原国立公園の中でも広大な高原が広がっており国内随一のスノーリゾートとして名高いのが志賀高原です。上信越高原国立公園の“高原”は志賀高原地域のことを指しているといっても過言ではありません。志賀山火山の影響もあり、無数の湖沼となだらかな地形が彩るこの高原地帯はまさに国内第一級の大風景地を作り出しています。

そんな志賀高原地域ですが、環境省は昭和30年6月からパークレンジャー(国立公園の管理をするための駐在員)を置いており、私の代でちょうど20代目を迎えました。
これまでの国立公園と今後の国立公園の進むべき道、山ノ内町との関係など、分かり易くお伝え出来ればと思っています。

※国立公園とは?

優れた自然の風景地を保護・利用する事で、国民の保健・休養・教育や生物多様性の確保に役に立つ場として、環境大臣が指定し管理する地域。

全国で“そこにしかない”風景地を指定しており、北は北海道知床半島から南は沖縄県西表島までの全国32箇所が指定されています(平成28年4月現在)。

環境省 志賀高原自然保護官 瀧口
Photo by SZ

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