志賀高原ユネスコエコパークエリア内の山ノ内町にはたくさんの資源があり、昔からそれを活用してきました。今回は南部地区を舞台に、歴史的な観点から地域の方々にお話をいただき、地域振興を考える「志賀高原ユネスコエコパーク第2回セミナー」を実施しました。

南小学校 郷土資料室

南小学校の郷土資料室を見学させていただきました。縄文時代の佐野式土器とそれにまつわる研究資料や稲作に関わる地域史などの資料が保管、展示されており、学校では地域に開かれた教育にこれらの資料を役立てているとのことです。
セミナーに参加された方々から「整備されていて楽しく学びました。まとめられた資料を後世に伝えてほしい。」「改めて地域のことを知りました。もっと知ろうと考える機会になりました。」などの声があり、見学を通して地域の資源を見つめ直すことができました。

写真【佐野式土器の展示をみる】【米作りの工夫を語り合う】

南部地区 菅の里歩き

十王堂

町有形文化財に指定される「十王堂」では、安置されている十王を拝み、鎌倉、室町の時代から続いた十仏事について、また、江戸時代にはお堂で寺子屋が開かれ、熱心に教育が続けられたことについての話しが地域の方々から出されました。
参加者から「十王が新しくされたようだが、以前のものは現在どこにあるのか?」「寺子屋を続け、師として慕われた地域の人のことをもっと知りたい。」などの声があり、生活や信仰、教育の歴史も大切な地域資源であると気づくことができました。

写真【町文化財の十王堂】【安置される十王をみる】

高札場

志賀高原ユネスコエコパークセミナーが行われ、南部地区、菅の里を歩きました。
高札場(こうさつば)は、江戸時代、幕府や所領の大名から村人に掟や法度などを知らせるための重要な役割をもっていた場所とされます。
切妻社殿型の木造建築で細工も良く立派な大型のもので、菅は政治上重要な地域であったことを示しているといわれます。
中には秋葉さん・妙義さん・白山社の3体を祀った祠が3つ並んでいて、村人は頭を下げてここを通ったという。かつての村の生活資料としても大変貴重であることを知りました。

写真:【文化財から村の生活を想像する】

郷蔵

狩田八幡宮前では、郷蔵(ごうくら)を見て里の生活を考えてみました。江戸時代、幕府から命令が下り、幕府領の村々は飢饉に備えて年貢米や穀物を保管する倉を建てたそうです。
菅の郷倉も1年くらいの凶作にも支障のないほど備蓄がなされていたと思われます。今では、県内では北信地方に僅かに残存するだけの珍しいものとなっているそうです。
願い事の成就、特に農作物の収穫の神様として村人から信心を集めた八幡宮が郷蔵の近くに祀られ、今も大切にされることにも意味があるように感じられます。

南部地区 寒沢の里歩き

西の尾根

寒沢集落センターから西に広がる眺望は、晴れていれば見事ですが、この日は霧の中でした。
西の尾根は高山村や中野市と境を接し、歴史的にみると近隣との交流が盛んに行われていた場所です。城跡や峠道が幾つもあって地域の要所でした。地名や字名、地番にもその名残りがあり、更科峠に近い「寒沢大坂」、「佐野大坂」付近は早くから稲作が行われ、水田の広がりが見られたようです。
南部地区にはこの時期、一面に黄金色の景色が広がっていたと想像しました。つい最近、昭和の時代まで米作りが経済活動の中心にあったといいます。
現在この方面を眺めると、一面に広がるのは果樹園です。

写真:【寒沢集落センターから更科峠方面をみる】

水路(堰)跡

寒沢集落を上り、水田の跡や水田に注ぐ水路(堰)の跡を見学しました。地域の歴史に詳しい方々の案内で、水源のない地域で稲作を続けるために田を潤そうと努めた先人の知恵や工夫に触れることができました。
地元の人ならではの経験や調査の結果から一部を紹介いただいて、村人の「どうしても米を作りたかった」心情とその背景、自分たちの手で山から恵みの水をいただいて水田を開くという取り組みが続けられたことを知りました。果樹園が広がる現在、地域から教えられる内容は広がりました。

写真:【堰跡をたどって歩く体験ができました】

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)